
サブトン海峡・航海記
4号足柄城に
4号こと春風亭昇太は、只今16日から始まる「伊東四朗一座」のお稽古中。人の稽古見て、ゲラゲラ笑いながら、楽しく稽古場で過ごしていますが、今日は稽古休み。
だからといって休みませんよ。静岡県小山市に「アド街ック天国」のロケに行って来ました。
なんとロケ先は「足柄城」お城が、好きだ好きだって言っていると、こんな仕事も来るんですね~。(写メ1)
足柄城は、足柄街道を取り込むように造られた国境のお城。足柄街道を進めば、必ず足柄城内を通らなければならないのです。通ろうとしたら、道の上や両サイドから攻撃され放題です。足柄街道には足柄城。東海道なら山中城。後北条氏は、こういうの好きだね。
城内は公園整備されていて、比較的見学しやすいです。三の郭と二の郭の間の空堀も見事。(写メ2)
一の郭(いわゆる本丸ってやつ)は削平されておらずフラットではないので、城主が常駐して、住んでいるって感じの城とは思えなかったですね。住んでろ!って言われたら、峠の頂上で、冬は寒いよ~。
足柄エリアの際のに放送されますが、多分一瞬なんで、見逃さないでね~。久しぶりのお城。面白かった♪
4号茅ヶ崎城に
昨日、昼間に打ち合わせを終えてしまい、部屋でボンヤリするのも嫌だったので、2時頃家を出て横浜の「茅ヶ崎城」に出掛けた。
「茅ヶ崎城」は横浜市営地下鉄「センター南」徒歩5分程にある。
開発が進む市街地で、駅から徒歩5分の場所に中世城郭が、ほぼ完存している奇跡的な城だ。
駅の地域図で軽く確認して、プラプラ歩けば、直ぐに到着。
初めて、ここに来たのは前座の頃の20数年前。当時の茅ヶ崎城は、手付かずの遺構が圧倒的な迫力で迫ってきたが、現在は公園整備が進んで、見易い事、この上ない。
昔は雑草と雑木林の「西郭」と「中郭」の間の空堀も舗装されています(写メ1)
「中郭」に上がれば、郭の南側から西側の土塁が見事!(写メ2)
正直言って、公園化し過ぎて、「北郭」なんて駐車場みたいに舗装しちゃったし、柵は鬱陶しいし、少々残念だが、破壊される中世城郭が多い中、駅から徒歩5分。案内板も豊富。ハイヒールで行ける中世城郭なん滅多に在りません。
時間があったら「茅ヶ崎城」へ是非どうぞ。
お城の整備は、難しいね…
帰りは三軒茶屋のシアタートラムに、友達が出演している「A to P」を観に行く。
お城と、芝居。いい1日でした!
4号安土城へ
26日、4号こと春風亭昇太は、滋賀県長浜市で落語会だ。
滋賀県は城跡が、うじゃうじゃ在る事で有名な、お城王国。
何しろ滋賀県は、京都から東に行くにも、北に行くにも重要な交通の要所。名だたるお城がワンサカです。
で、会場に入る前に。行ってきました安土城!
最近はディアゴスティーニでもお馴染みの織田信長の居城だ。この城から、日本人が大好きな、石垣&天守閣の、いわゆる近世城郭が始まったそうじゃ。
いゃ~。普段、土塁系のお城中心に観てるけど、さすがに、大手道から天守台まで、見事な石垣が続く様は、壮観!! (写メ1)
途中の石段には、石仏も、ただの石材として使われています(写メ2)
「こんなモン、仏じゃにゃ~。ただの石だがやぁ~」って感じで。仏敵、織田信長の面目躍如と、いったところか。
本当は、隣にある六角氏の居城「観音寺城」を見たかったんだけど、この城は余りに巨大で2~3時間では無理と判断して、今回の「安土城」でした、
いつか、必ず行ってやる。待ってろよ「観音寺城」!
しかし、最近は城ブログみたいになってるなぁ~落語の事も更新しますね♪♪
4号、興国寺城へ
今日は沼津市で、楽太郎師匠との二人会。
昼の部の高座に上がる直前に、WBCて日本が、5対3で勝利したという、結果が飛び込んできた。
勿体つけて、日本優勝を客席に伝えると、凄い拍手!中には涙ぐむオバチャンも…日本人は、こんなに野球好きだっけ?
さて、夜の部はトリになったので、待ちの時間が長くなった~。そこで!
沼津市にある「興国寺城」に行く事にした!!
興国寺城は、北条早雲が今川氏から拝領し、ここを足掛かりに、関東一円に領土を広げた、大北条王国発祥の城。城郭ファンには有名な城だ。
沼津市民文化センターから車を出してもらい30分程で到着。
そして…どーん!目に飛び込んで来たのは、物凄い高さの土塁!こんな高さの土塁見たことないです~何メートル有るんだろう、小山のようだ。(写メ1)
いや、高いって話しは聞いていたけど、これ程とは!
土塁に上がると、その向こうは巨大空堀。堀の中に入ったら怖いくらいです(写メ2)そのダイナミックな事!スゴイぞ興国寺城!
北条早雲以来(その前から有ったかも知れないケド)今川、北条、武田、徳川の激戦地のど真ん中で最後の城主が、家康の家来の天野康景。この人が凄い。
一万石の石高を貰いながら、農民を斬り殺した家来を、家康から差し出すように言われたら「やだ!」って、遁走し、興国寺城は廃城…
一万石っていったら大名です…この人、家臣想いの名君なのか、バカなのか?歴史には色んな人が登場しすぎて、面白いなぁ♪
興国寺城は只今、発掘調査中。あと五年ぐらい後に行くと見やすいかも!
4号高津戸城へ寄る
4号こと春風亭昇太は「笑点」収録を終え、群馬県みどり市、大間々にある「ながめ余興場」へ、朝日さわやか寄席の公演にきた。ながめ余興場は、銅山で、エライ儲かった時代に建てた風情のある、良感じの劇場だ。
2時間ほど早く着いて、楽屋でボンヤリしようかと思ったが、地図を見ていたら。胸騒ぎ…地図に、ながめ余興場の脇を流れる、渡良瀬川の反対側に「要害神社」の文字。
城跡に、よくついている地名が幾つかある「城山、根小屋、堀ノ内、殿山、等々」そして要害も、そのひとつだ!
さっそく携帯で「大間々 城郭」で検索したら。出た~!「高津戸城」場所もどんぴしゃ「要害神社」がそれだ。
こうなると、日没までの時間との戦い。事務所の車で神社駐車場に行くと、高津戸城の案内板があり、すでにココが三の郭と知る。
神社に向かって、ずんずん進むと、竪堀らしき物、曲輪らしき場所を見ながら、神社の一段下に出ると、明らかに腰曲輪が一の郭をぐるりと一周している!城壁がカッコいいぞ!(写メ1)
その後も、尾根にそって堀切で防御された場所が2~3段認められたり、井戸跡を見つけたりと、予習しなかっけど、遺構が比較的単純な分、分かりやすかったぁ。
その後、カメラで雑木林に拡がる遺構を撮っていると、女の子を連れたお母さんと遭遇。怪しかったのだろうか?女の子が「何してるの?」と聞いてきた。お母さんは、女の子に、この人に話しかけちゃダメ!オーラを出して「ホホホ…」と乾いた笑い声を出している。
正直に「お城を見に来たの」と答えると「ここに、お城有ったの?お母さん!」お母さんは「この男、オカシイ…」といった引きつった顔で「ホホホ…」と笑う。
「お城だったら、お姫様と王子様はだれ?」お母さんは、早くこの場を離れましょう!って感じで娘の腕を引っ張りながら「ホホホ」と笑っている…
お姫様は知らないが、よっぽど、案内板に書かれていた、由良国繁に攻められ、この城で無念の討死をした、里見勝政、勝安兄弟の最後を、感情たっぷりに語ってやろうかと思ったが、警察に通報されそうだから止めておいてやった!
あの親子。今度逢ったら、成敗してやるからな!
日没タイムアウトで楽屋に帰り、落語炸裂!里見兄弟も喜んでいるであろう…ホホホ。
4号一乗谷へ!
4号こと春風亭昇太は、本日は福井市での公演。
当然、こんなチャンスを逃すはずもなく、福井市の「一乗谷朝倉氏遺跡」に行って参りました♪
一乗谷は、朝倉氏の館や城の遺跡がセットになって残っている、大変に貴重な場所。中世城郭ファンなら誰もが行きたい聖地です。
タクシーに乗り込んで20分程で、谷をシャットアウトするように造られていた「下城戸」が表れます!ギャー。と叫んで、運転手さんに「ど、どうしました?」と驚かれながら、土塁と石垣が美しい姿を堪能。
その後も、住居跡や上城戸が表れる度に車を止めてもらい。キャーキャー走り回って写真を撮りまくり。館の前で、運転手さんとお別れ。
一乗谷川に架かる橋を渡ると、山を背後にして、コの字形の堀と土塁に守られた館の「唐門」が見えてきます。(写メ1)
中に足を進めれば、もうそこは中世の世界…礎石を頼りに、建造物を想像しながらそぞろ歩けば、隣ある「諏訪舘跡」に出ます。また、そこに残る庭園の雅な事…(写メ2)
そして、諏訪舘跡から見る「朝倉義景館跡」に、タメ息…(写メ3)
雨と時間の関係でお一乗谷城は断念。また来よう、ウン!
織田信長の「焼いてまえやぁ~」で三日間燃え続けたと言われる一乗谷は、谷全部が遺跡で、戦国の街並みが、そっくりそのまま遺されている、奇跡的な場所なんですね~♪
ちなみに、この後の福井公演で一緒だった、紙切りの林家二楽に「上城戸」の土塁を見せたら「土手ですか~?」と言われて、逆上し、ハサミを奪って串刺しにしそうになりました!!
馬鹿なんだから!
4号滝山城へ
すみません。先ほど写真しかアップされていませんでした。こちらが本当。
遅くなりました。って、待っていた人がいたかどうかは別にして…
四号こと春風亭昇太は、秋川キララホールの落語会の前に、八王子市の滝山城に行って参りました。
滝山城は東京を、いや日本を代表する規模や遺構を誇る、中世城郭の名城です。
大手口の看板からお城に向かって進むと、いきなり左右の土の壁に挟まれたり、クランクしていたりと、山城気分満載です。
小宮曲輪の堀に沿って進むと、三の丸前の巨大な空堀 ! 「きゃー。堀ですー。きゃー」お魚くんなら絶叫しているでしょう。
お城は、攻め手側の気持ちになって歩いてみると、面白い発見があります。
足軽気分で、二の丸に突入。右側と正面から十字砲火を浴びながら、本丸に向かおうとした時、道が二手に別れるのですが、軽く右が登り坂、左が下り坂。本丸(山城の場合、本丸はほとんどが、山の最高地にあります)を目指す、足軽昇太の精神状態としては、当然右の登り坂を選んで進んだら…様子がおかしい…あわてて城図を見ると、城の中心ではなく外側に向かっていたのです~…罠?
恐るべし、滝山城。引き返して、下り坂を進んで、中の丸、本丸へ到着。
帰りは、お城のボランティアの方達に「笑点の人だ」なんて言われながら。見所の「角馬出」の説明を受けたりして面白かった。
今回は、大手口から本丸へ向かいましたが、登り口は沢山あります。お楽しみは残してあるので、次は何処から登ろうかなー。
ちなみにココ滝山城は「天地人」で春日山城として登場します。ロケ地って事ね。
春は桜の名所。城はともかく、いい散歩になりますので、花見に滝山城へ行ってみてはいかが。
余談ですが、秋川キララホールの会場の受付に、お姫様みたいに奇麗な人がいて、滝山城ともども特した気持ちになりました。
写メは、三の丸前の堀と 四号が騙された?Tの字のに別れた二本道。解りづらいけど、右が軽く登り坂になっています。
4号のわがまま
4号こと春風亭昇太は、柳家花禄さんと愛知県幸田町に2人会に行って来ました。
あまり落語会をやっていない会場らしいのですが、お客さまのノリが良く。こちらが乗せられて、楽しくできました。
皆様、ありがとうございました~。
さて、三河安城から車で幸田に向かったんですが、わがままを言って安城市の「本證寺」(ほんしょうじ)に寄ってもらいました。
本證寺はお寺なんですが、一向一揆の拠点として、徳川家康と対抗した堀や土塁を巡らせた、城郭伽藍のお寺、早い話がお寺という名のお城でした。
写メは鼓楼と内堀と、にやける俺です。
これは江戸時代の改修なんですが、戦国大名とも、まともに対抗する一大勢力、一向宗のパワーが偲ばれます。
写メ2
現存の本證寺さんは、現代の穏やかな寺院。門前の、有り難いお言葉が、落語会の前に、わがまま言った私の胸に、染み入ります~反省。
Re: 追伸
四号播磨の国その2
四号こと春風亭昇太は、姫路城を見た明くる日、次の目的の「置 塩城」(おじおじょう、おきしおじょう、といくつか呼び方がある ようです)に向かったんじゃ。置塩城は播磨守護、赤松氏の居城
で、現在は国指定史跡になっております。
姫路の街から、車で20分程走った程度なのに、イメージ的には、静 かな山里といった風情のある、姫路市夢前町に「置塩城」があります。
たとえ国指定史跡でも、観光地って訳では無いので、タクシーの 運転手さんに「置塩城」言って下さい「あいよっ」ってわけにはい きません。運転手さん携帯で、誰かとゴニョゴニョ話した後「息子
の嫁が、そこの出だから聞いて、わかりましたよ」と言って連れて 行ってくれた。
置塩城登山口と書かれた石碑を見ながら、幾重にも折れる細い山 道をヒーヒー言いながら、汗だくで登り。ようやく遺構が確認出来 る場所の「南曲輪群」に出る。かまぼこ形のスペースが何段か重
なって下に広がっている。(全然イメージ出来ないでしょ、すみま せん)何だか嬉しくなって、さらに登ると、茶室跡、二の丸、三の 丸、台所跡、本丸と次々に遺構が続く。…しかし、この山の上で、
お茶をたしなんでいたなんて、当時の武家の雅な一面が感じられて素敵。
4号播磨の国へ
目的は兵庫県姫路市にある国宝、姫路城じゃ。
姫路城は今年の秋から、大修理に入るので、どこかにシートの貼ってない姫路城を見るためには、今しかない。つー事で、姫路まで遠征に来たという訳じゃ。
姫路城に来たのは二回目、前回は大学生のころだから、30年振りという事になる。
いやいや、普段こうした近世城郭はあまり行かないんだけど、これだけ天守閣、櫓、石垣、堀とトータルで残っていると、素晴らしいね~。
特に石垣は、東日本の城には見られない高さで、アッパレ!
大戦中の空襲で焼けなければ、名古屋城も世界遺産級だったのに、惜しい。
夜は、刺身や穴子を食べて殿様気分。でも、こんなもんで終わったと思うな!播磨の国の名城が、俺を呼んでいるんだよ!
4号柏市にて
4号こと春風亭昇太は、本日、柏市のアミュズ柏で落語会。
実は、千葉県は中世城郭の宝庫。柏市、松戸市,我孫子市と都内からも近い街にも、城址が山盛り。
ホールの近くにも「増尾城址公園」があります。ワクワクしながら柏に行ったんだけど。マネージャーが訪城の事をすっかり忘れて迎えに来たので、見る時間が全くなく、とにかく行くだけ行ったけど、あんなに城跡で走った事はなかった! まさに城攻めの足軽だ!
小ぶりだが、中世城郭の雰囲気たっぷりの増尾城は、2郭を一周する土塁が素敵♪櫓台もしっかり残っていて、格好良かったけど、開演時間との戦いで、もっとゆっくり見たかったなぁ~
写メは、土塁前の案内板と、疲れている4号です。
4号島根県に
昨日、島根県に入った4号事春風亭昇太は、吉賀町で一席やった。会場が体育館という事もあり,不安だったが、いいお客様に助けられて、無事に終演。
今日は朝から益田市にある七尾城に行った。
石川県に上杉謙信に攻められた有名な城があるが、こちらの島根県の「石見 七尾城」は。この地の有力豪族、益田氏の本拠地です。小雨の中、なんとか本丸にはたどり着きましたが、足元が滑りやすく、急斜面が怖くて、他の細かい遺構には辿り着けませんでした。でも、かえって山城の迫力は感じられました。
帰りは、益田市歴史民俗資料館に寄り、「三宅御土居」(益田氏の屋敷跡)に寄って帰りましたとさ。
興味の無い人には、バカみたい~~って感じの午前中でした。
4号、都於郡城に!
朝、5時30分に目が覚めたのは、余が爺さんになったからではない。興奮して起きてしまったのじゃ。
7時に朝食をすませて、タクシーで向かったのは日向国伊東氏の居城「都於郡城」(とのこおり城)だ。中心部が、本丸、二の丸、三の丸、西の城、奥の城の五郭からなる大きな城なのじゃぞ。
特に見たかったのは二の丸に現存する土塁でのぉ(写メ)4~500前の城の土塁は、だいたいが風化して、小さくなってしまっているものが多い中、見よ。この2m以上の高さで長く延びている見事さを…ナニ、よく判らぬ!そのような者達は手打ちじゃ!うつけ者めが!
他にも、各部所が深い堀切で区切られて、独立性が高く、関東の城のような技巧性は感じられないが、ダイナミックで、あっぱれじゃ。
また、ここは。遣欧少年使節の伊東マンショ誕生の地でもある、ワシとマンショのツーショットも見るがよい!
かくして、ワシの二時間半に及ぶ、中世妄想旅行はおしまい。さて、ホテルに戻ってシャワー浴びたら、都城市に行って、もう一仕事じゃ。馬引け~ぃ。