
春風亭昇太 > ブログ
19
08月
独演会ありがとう
独演会「滑稽魂」が終わりました。ご来場の皆様ありがとうございました。
今回は、いわゆる滑稽噺しかやらない会で「青菜」「壺算」「浮世床」「初天神」の四席。
壺算以外は、演る事が少ないネタで初天神はネタ下ろし。
子供が出てくるネタが好きでないので演らなかったんだけど、演ってみたら案外面白かった〜♪
今後はよくやるネタになりそうです。
写メは昨夜、初天神を教えてもらった柳好さんと、お礼を兼ねてヤキトンで一杯♪
3公演しかやらなかったので、チケット完売してしまい買えなかった皆様、すみませんでした。
この会は会全体の構成が難しく、3公演ともやり方を変えましたよ。
またいつかやります!!
ありがとうございました〜♪
〓春風亭昇太〓
今回は、いわゆる滑稽噺しかやらない会で「青菜」「壺算」「浮世床」「初天神」の四席。
壺算以外は、演る事が少ないネタで初天神はネタ下ろし。
子供が出てくるネタが好きでないので演らなかったんだけど、演ってみたら案外面白かった〜♪
今後はよくやるネタになりそうです。
写メは昨夜、初天神を教えてもらった柳好さんと、お礼を兼ねてヤキトンで一杯♪
3公演しかやらなかったので、チケット完売してしまい買えなかった皆様、すみませんでした。
この会は会全体の構成が難しく、3公演ともやり方を変えましたよ。
またいつかやります!!
ありがとうございました〜♪
〓春風亭昇太〓
16
07月
熱海五朗一座・千秋楽
東京公演に続いて、熱海五朗一座「天使はなぜ村に行ったのか」の大阪公演が終わりました。
5月中旬から稽古に入り、6月21日からの本番だったが、今回も本当に楽しく、やりがいのある仕事だった。
しかし、長丁場の舞台では体調管理が大変。
稽古の段階で、喉の調子を悪くして(歌のシーンがあったんだよ)それを乗り切った頃には、本番中にあばら骨にヒビが入り、くしゃみをすると、悶絶するほど痛かった〜。
小噺のシーンがあるんだけど、声を出す度にイタイ(><)という、初めての経験もしました。 しかし、芝居自体は大成功♪共演者の皆さんとも楽しく稽古し、食べ、飲みました。また、浅野ゆう子さんって人が、まぁ〜感じイイ方で…♪ 連日満席のお客様にも楽しんで帰って頂いたようで、ボクも楽しかったです。 大阪公演・千秋楽には楽屋に出演者の顔入りのケーキが! ご来場の皆様、ありがとうございました。来年もたぶんやります♪ さぁ、落語の世界に戻りますよ〜。 〓春風亭昇太〓
5月中旬から稽古に入り、6月21日からの本番だったが、今回も本当に楽しく、やりがいのある仕事だった。
しかし、長丁場の舞台では体調管理が大変。
稽古の段階で、喉の調子を悪くして(歌のシーンがあったんだよ)それを乗り切った頃には、本番中にあばら骨にヒビが入り、くしゃみをすると、悶絶するほど痛かった〜。
小噺のシーンがあるんだけど、声を出す度にイタイ(><)という、初めての経験もしました。 しかし、芝居自体は大成功♪共演者の皆さんとも楽しく稽古し、食べ、飲みました。また、浅野ゆう子さんって人が、まぁ〜感じイイ方で…♪ 連日満席のお客様にも楽しんで帰って頂いたようで、ボクも楽しかったです。 大阪公演・千秋楽には楽屋に出演者の顔入りのケーキが! ご来場の皆様、ありがとうございました。来年もたぶんやります♪ さぁ、落語の世界に戻りますよ〜。 〓春風亭昇太〓
08
07月
明日は
29
06月
熱海五郎一座〜♪
23
06月
三保の松原世界遺産だあ♪
08
06月
秋田で笑点
20
05月
マムちゃん寄席
12
05月
春風亭昇太・津山城へ
岡山県津山市へ行ってきた
お城トークと、落語会がセットになったイベントで、当然「津山城」へ!
森忠政(織田信長に使えて本能寺で亡くなった、森蘭丸の弟)が築城した津山城。在りし日の姿は、目も眩むような美しい城だった。
層塔型の天守閣と群立する櫓、巨大な門(写メ1郷土博物館復元模型)
現在でも、お城マニア。特に石垣フェチにたまらない城で、山全体を石垣が覆い、復元された備中櫓が見事でした。
トークのコーナーで、郷土博物館の長尾館長さんが言っていた「津山の方言で岐阜県の兼山で喋っていても、何の違和感も無かった」というお話がとても興味深かった。
岐阜県兼山は津山城を築いた森忠政が産まれた場所で、森家代々の地である。
岐阜県兼山の言葉は、津山のお殿様や御家来衆が口にしていた言葉で、いつしか津山の言葉と混じりあい、津山の標準語になった…という事か。
人が、ゴッソリ動く国替ならではの話である。
今回は時間が無く、ゆっくり見られなかったので、また行こう〜♪
〓春風亭昇太〓
お城トークと、落語会がセットになったイベントで、当然「津山城」へ!
森忠政(織田信長に使えて本能寺で亡くなった、森蘭丸の弟)が築城した津山城。在りし日の姿は、目も眩むような美しい城だった。
層塔型の天守閣と群立する櫓、巨大な門(写メ1郷土博物館復元模型)
現在でも、お城マニア。特に石垣フェチにたまらない城で、山全体を石垣が覆い、復元された備中櫓が見事でした。
トークのコーナーで、郷土博物館の長尾館長さんが言っていた「津山の方言で岐阜県の兼山で喋っていても、何の違和感も無かった」というお話がとても興味深かった。
岐阜県兼山は津山城を築いた森忠政が産まれた場所で、森家代々の地である。
岐阜県兼山の言葉は、津山のお殿様や御家来衆が口にしていた言葉で、いつしか津山の言葉と混じりあい、津山の標準語になった…という事か。
人が、ゴッソリ動く国替ならではの話である。
今回は時間が無く、ゆっくり見られなかったので、また行こう〜♪
〓春風亭昇太〓
06
05月
ブーケ!
06
05月
弟子の結婚式〜♪
30
04月
明日から寄席だよ。
岡山で落語の後は、ゴールデンウィークの寄席に出演します〜♪
池袋 17:30上がり
末広亭 18:45上がり
※末廣亭は披露目なので19:25口上出演あります。
5月6日は池袋はお休み。末廣亭は時間が遅くなりますが出る予定です。(時間未定)
5月8日は、津山市に行くのでお休みです。
寄席は他の出演者の都合などで時間は正確ではありません。宜しく〜♪
〓春風亭昇太〓
池袋 17:30上がり
末広亭 18:45上がり
※末廣亭は披露目なので19:25口上出演あります。
5月6日は池袋はお休み。末廣亭は時間が遅くなりますが出る予定です。(時間未定)
5月8日は、津山市に行くのでお休みです。
寄席は他の出演者の都合などで時間は正確ではありません。宜しく〜♪
〓春風亭昇太〓
29
04月
岡山で落語会
きょうは岡山で30周年記念落語会があった。
岡山出身の、うめ吉さん、小朝・小遊三両師匠という豪華なゲストに助けられて岡山では初めての落語だった。
会場は岡山城の隣。というか完全に城内。
ってことで、ちょっと寄ってきました。
岡山城は米軍の空襲で焼けなければ、世界遺産急の城郭だった史跡だった。
現在でもコンクリートではあるが外観復元で、その威容を感じる事が出来る。(写メ1)
これが、木造建築だったと思うと、その建築技術の高さに驚くばかりだ。
そしてこちらは月見櫓(写メ2)
この櫓は戦禍を免れた現存の櫓で国の重要文化財だ!
すぐに戻って、高座に上がる。
初めてなのに、凄く温かいお客様で演りやすい。
岡山のお客様、ありがとうございました。
いつか、小さい会場でいいから岡山で独演会をやりたいなぁ〜♪
〓春風亭昇太〓
岡山出身の、うめ吉さん、小朝・小遊三両師匠という豪華なゲストに助けられて岡山では初めての落語だった。
会場は岡山城の隣。というか完全に城内。
ってことで、ちょっと寄ってきました。
岡山城は米軍の空襲で焼けなければ、世界遺産急の城郭だった史跡だった。
現在でもコンクリートではあるが外観復元で、その威容を感じる事が出来る。(写メ1)
これが、木造建築だったと思うと、その建築技術の高さに驚くばかりだ。
そしてこちらは月見櫓(写メ2)
この櫓は戦禍を免れた現存の櫓で国の重要文化財だ!
すぐに戻って、高座に上がる。
初めてなのに、凄く温かいお客様で演りやすい。
岡山のお客様、ありがとうございました。
いつか、小さい会場でいいから岡山で独演会をやりたいなぁ〜♪
〓春風亭昇太〓
22
03月
4 月上席浅草出演のお知らせ
4/1〜5 四月上席前半昼の部に出演します。
久しぶりにトリをとりますよ。
出演時間です。
4/1(月)〜5(金) 16:10上がり
お休みはありません。
一門の兄弟子や弟弟子も大集合。お暇でしたら是非来て下さいませ〜♪
〓春風亭昇太〓
久しぶりにトリをとりますよ。
出演時間です。
4/1(月)〜5(金) 16:10上がり
お休みはありません。
一門の兄弟子や弟弟子も大集合。お暇でしたら是非来て下さいませ〜♪
〓春風亭昇太〓
17
03月
岩国の美味♪
14
03月
春風亭昇太・韮山城調査のまとめ
今回「韮山城」「天ヶ岳」「本立寺付城」と城めぐりをしたが、全体的に残りが良くて、堪能出来た。
特に、付城は興味深く。あの延々と延びる土塁線は、やがて次の付城の土塁と繋がり、柵や塀。堀を経由しながら韮山城を取り囲んでいたようだ。
(写メ1)は「鎌倉幕府草創の地・伊豆韮山の中世遺跡群」(池谷初恵著)から拝借した、1948年米軍撮影の航空写真。
(この米軍の航空写真は、日本全国で大量に撮られていて、現在では消滅してしまった遺構等も写っており、城郭研究の資料ともなっています)
黄色の線が、航空写真に写っていた堀と考えられるラインだ。
これが、北条方が作ったもの…豊臣が作ったもの…韮山城攻めの後に作られたもの…と、幾つかの考えが挙げられているが、今後の研究で豊臣勢が作った堀で、この堀から付城の土塁ラインが繋がっていたとしたらどうだろう…
豊臣秀吉が加藤清正に宛てた書状に、こんな記述がある。
「韮山義も付城堀、塀、柵出来候、是又可被干殺候」
鍋島直茂に宛てた書状には。
「堀をほりまわし、堀(塀?)柵を丈夫相付、鳥之かよひも無之被仰付候」
とある。
これを、それぞれ名古屋弁風に現代語訳すると…。
「韮山にも付城、堀、塀、柵が出来ましたがね。ここもまあ、飢え死にさせたりますがね〜」
「堀を掘って囲んだってせゃーが、塀や柵の丈夫いのを作りつけたって、そんで鳥も通わんようにせやあって、命令しましたがね〜」
…となる。なるか?
これらが、秀吉の誇張ではなかった事が証明されたら。とても面白いと思う♪
いずれにせよ、韮山城を中心とする城郭遺構は、豊臣秀吉の城攻めの全貌を、史跡という形で明らかにする、大変に貴重な資料である事は間違いない。
今後の10年続くという調査が待たれるところだが、それには伊豆の国市の韮山の皆さんの、理解と協力が何よりも必要となるだろうが、もとより歴史深い地区の皆さんだから、大丈夫だろう。
史実には関係無いテキトーな天守閣風の建物を建てて、城跡を公園整備する時代は、とっくに終わっている。
ますます本物が求められる今だからこそ、韮山城や周辺の城郭遺構の重要性がグロースアップされて、大事にされていく事を、期待しています…。
〓春風亭昇太〓
特に、付城は興味深く。あの延々と延びる土塁線は、やがて次の付城の土塁と繋がり、柵や塀。堀を経由しながら韮山城を取り囲んでいたようだ。
(写メ1)は「鎌倉幕府草創の地・伊豆韮山の中世遺跡群」(池谷初恵著)から拝借した、1948年米軍撮影の航空写真。
(この米軍の航空写真は、日本全国で大量に撮られていて、現在では消滅してしまった遺構等も写っており、城郭研究の資料ともなっています)
黄色の線が、航空写真に写っていた堀と考えられるラインだ。
これが、北条方が作ったもの…豊臣が作ったもの…韮山城攻めの後に作られたもの…と、幾つかの考えが挙げられているが、今後の研究で豊臣勢が作った堀で、この堀から付城の土塁ラインが繋がっていたとしたらどうだろう…
豊臣秀吉が加藤清正に宛てた書状に、こんな記述がある。
「韮山義も付城堀、塀、柵出来候、是又可被干殺候」
鍋島直茂に宛てた書状には。
「堀をほりまわし、堀(塀?)柵を丈夫相付、鳥之かよひも無之被仰付候」
とある。
これを、それぞれ名古屋弁風に現代語訳すると…。
「韮山にも付城、堀、塀、柵が出来ましたがね。ここもまあ、飢え死にさせたりますがね〜」
「堀を掘って囲んだってせゃーが、塀や柵の丈夫いのを作りつけたって、そんで鳥も通わんようにせやあって、命令しましたがね〜」
…となる。なるか?
これらが、秀吉の誇張ではなかった事が証明されたら。とても面白いと思う♪
いずれにせよ、韮山城を中心とする城郭遺構は、豊臣秀吉の城攻めの全貌を、史跡という形で明らかにする、大変に貴重な資料である事は間違いない。
今後の10年続くという調査が待たれるところだが、それには伊豆の国市の韮山の皆さんの、理解と協力が何よりも必要となるだろうが、もとより歴史深い地区の皆さんだから、大丈夫だろう。
史実には関係無いテキトーな天守閣風の建物を建てて、城跡を公園整備する時代は、とっくに終わっている。
ますます本物が求められる今だからこそ、韮山城や周辺の城郭遺構の重要性がグロースアップされて、大事にされていく事を、期待しています…。
〓春風亭昇太〓
05
03月
春風亭昇太・本立寺付城へ
城攻めの朝は早い。待ち合わせ場所の本立寺に行くと、調査の人数が増えている。
名前を出していいのか確認していないので、ここでは名前は伏せるが、あっ!この方あの歴史雑誌で見た。この人の論文読んだ。あのホームページ書いてる人だ♪…みたいな人ばかり。!
何だか、スターに会っているみたいで、嬉しいぞ♪
本立寺の脇から山道を進む。途中、堀切や竪堀を確認。本立寺付城に入った証拠。
さらに進むと、土塁が見えてきた。(写メ1)
この土塁が長い!尾根筋に延々と続いているではないか!
そして、その伸びている土塁の先は断崖で止まっていた…
ここに配属されていたのは蜂須賀家政隊・2500の軍勢だ。大きな駐屯地となるような場所が無い事から、蜂須賀隊の足軽達は、この長く続く土塁に貼り付くように、煮炊をし、博打で僅かな銭を賭けながら、寝起きをしていた事だろう。
そんな想像をしているだけで楽しい。城歩きの醍醐味の1つだ♪
妄想にふけっていると
「じゃあ昇太さんは、そろそろ…」
落語会は14時開演。残念だがタイムアップだ。
「師匠〜。残念ですね〜♪」
笑いながら、さらに奥を見に行く皆さんと別れて、土塁を見ながら、下山。
奥の方が何だか楽しそうだなぁ〜。
韮山での充実の2日間だった…
〓春風亭昇太〓
名前を出していいのか確認していないので、ここでは名前は伏せるが、あっ!この方あの歴史雑誌で見た。この人の論文読んだ。あのホームページ書いてる人だ♪…みたいな人ばかり。!
何だか、スターに会っているみたいで、嬉しいぞ♪
本立寺の脇から山道を進む。途中、堀切や竪堀を確認。本立寺付城に入った証拠。
さらに進むと、土塁が見えてきた。(写メ1)
この土塁が長い!尾根筋に延々と続いているではないか!
そして、その伸びている土塁の先は断崖で止まっていた…
ここに配属されていたのは蜂須賀家政隊・2500の軍勢だ。大きな駐屯地となるような場所が無い事から、蜂須賀隊の足軽達は、この長く続く土塁に貼り付くように、煮炊をし、博打で僅かな銭を賭けながら、寝起きをしていた事だろう。
そんな想像をしているだけで楽しい。城歩きの醍醐味の1つだ♪
妄想にふけっていると
「じゃあ昇太さんは、そろそろ…」
落語会は14時開演。残念だがタイムアップだ。
「師匠〜。残念ですね〜♪」
笑いながら、さらに奥を見に行く皆さんと別れて、土塁を見ながら、下山。
奥の方が何だか楽しそうだなぁ〜。
韮山での充実の2日間だった…
〓春風亭昇太〓
05
03月
春風亭昇太・韮山攻めはまだ続く!
しかし、天ヶ岳は素晴らしかった…
興奮を押さえながら、中井先生や、伊豆の国市文化振興課の皆さんと会食をした。
未練たらしく「明日は、皆さんは〜何処を見に行くんです〜か〜〜」と聞くと、付城を見に行くのだそうだ!!
「付城ですかぁ〜!♪」
付城とは、城攻めをする際に、当然反撃を食らう場合もあるし、ある一定の日数の駐屯が必要になる場合、拠点となる防御施設がないと安心出来ない。
そこで、城を攻める時に、城攻めの為の城を造るのだが、それを「付城」と呼ぶ。
この付城作戦を得意としたのが、織田信長であり、豊臣秀吉で。
攻める城を、付城を幾つも築いて取り囲み、兵糧を絶ち切って降伏させたり、その城の行動を押さえる事で、別の作成を進行したりの城攻めパターンは「三木城」「鳥取城」で城内を「干殺し」(凄い言葉だ)した事でも有名である。
当然、北条氏制圧に来た豊臣秀吉は、韮山城攻めにあたり、この得意の作戦に出て、韮山城の周りに幾つもの付城を築く事になる。
それを見に行くと言うのだ!
「…いいですね〜…」と呟くと
「…行きますか〜?」と、皆さん。
何しろ、落語会の主催も伊豆の国市の文化振興課だから、城に体力の全てを使われたり、ケガでもされたら困るのだぁ〜
「お願いします〜」
「1つだけですよ!」
つ〜事で、わしの韮山攻めは、まだまだ終わらない!付城 に行くのだ!
写メは、毛利家文庫の「小田原之時韮山城仕寄陣取図」からの資料
韮山城を豊臣配下の武将が取り囲んでいるのがわかる。
〓春風亭昇太〓
興奮を押さえながら、中井先生や、伊豆の国市文化振興課の皆さんと会食をした。
未練たらしく「明日は、皆さんは〜何処を見に行くんです〜か〜〜」と聞くと、付城を見に行くのだそうだ!!
「付城ですかぁ〜!♪」
付城とは、城攻めをする際に、当然反撃を食らう場合もあるし、ある一定の日数の駐屯が必要になる場合、拠点となる防御施設がないと安心出来ない。
そこで、城を攻める時に、城攻めの為の城を造るのだが、それを「付城」と呼ぶ。
この付城作戦を得意としたのが、織田信長であり、豊臣秀吉で。
攻める城を、付城を幾つも築いて取り囲み、兵糧を絶ち切って降伏させたり、その城の行動を押さえる事で、別の作成を進行したりの城攻めパターンは「三木城」「鳥取城」で城内を「干殺し」(凄い言葉だ)した事でも有名である。
当然、北条氏制圧に来た豊臣秀吉は、韮山城攻めにあたり、この得意の作戦に出て、韮山城の周りに幾つもの付城を築く事になる。
それを見に行くと言うのだ!
「…いいですね〜…」と呟くと
「…行きますか〜?」と、皆さん。
何しろ、落語会の主催も伊豆の国市の文化振興課だから、城に体力の全てを使われたり、ケガでもされたら困るのだぁ〜
「お願いします〜」
「1つだけですよ!」
つ〜事で、わしの韮山攻めは、まだまだ終わらない!付城 に行くのだ!
写メは、毛利家文庫の「小田原之時韮山城仕寄陣取図」からの資料
韮山城を豊臣配下の武将が取り囲んでいるのがわかる。
〓春風亭昇太〓
03
03月
春風亭昇太・天ヶ岳へ・2
さて、天ヶ岳の続きだ。
山中に現れる、北条氏特有の畝堀に驚嘆しながら、更に尾根筋をロープを頼りに進む!!
尾根の幅だから、とても狭い。調査の一行も、縦長の列になって進むのだが、これは、この天ヶ岳砦を攻める敵側の部隊も同様だろう。何しろ両サイドは山の斜面で、現在のように鬱蒼と木がはえてはいない。
以前、何度か書いたが、城だった時代は防衛上視界が悪いので、木は伐採されていたハズ。両側が絶壁の山の細い尾根を進むのは精神的に辛い!特に先頭の人の心細さは容易に推察出来る。
その、ただでさえ細い尾根の先に、こんな細工が施してあった〜 (写メ1)
…わかりますか?、細い尾根を更に削って、細い土橋になってます。ここは絶対に1列になります!
ここを、震える気持ちを押さえながら渡っている時に、前から矢や鉄砲で撃たれたら…逃げようが無い。撃たれるか、谷底へ落ちるか2つに1つの選択だ!!
いや、撃たれて落ちるという、もう1つの選択も有りか〜!
この他にも尾根上には、わざと蛇行させなから進ませる構造の削り方をしたような箇所もあり、山中にはキャーキャー♪言ってる落語家の声がこだましておったそうな♪
天ヶ岳は、本格的なトレッキング装備でないと危険な箇所も有り、一般の方にはオススメ出来る場所ではない。
実際僕も普段の格好で参加したので、前進を断念した場所もあった。
しかし、十分な装備と案内が有ったら。一見の価値のある素晴らしい城郭遺構だ。
帰りには土手和田砦にも少し寄ってもらったが、ここもL字型の堀に畝が施されている、ホント残りが良い〜♪
日を改めて、またユックリ行こう〜っと。
さぁ、一泊したら落語会かぁ〜。
…本来は、その為に伊豆の国市に来たんだろ!!バカ
〓春風亭昇太〓
山中に現れる、北条氏特有の畝堀に驚嘆しながら、更に尾根筋をロープを頼りに進む!!
尾根の幅だから、とても狭い。調査の一行も、縦長の列になって進むのだが、これは、この天ヶ岳砦を攻める敵側の部隊も同様だろう。何しろ両サイドは山の斜面で、現在のように鬱蒼と木がはえてはいない。
以前、何度か書いたが、城だった時代は防衛上視界が悪いので、木は伐採されていたハズ。両側が絶壁の山の細い尾根を進むのは精神的に辛い!特に先頭の人の心細さは容易に推察出来る。
その、ただでさえ細い尾根の先に、こんな細工が施してあった〜 (写メ1)
…わかりますか?、細い尾根を更に削って、細い土橋になってます。ここは絶対に1列になります!
ここを、震える気持ちを押さえながら渡っている時に、前から矢や鉄砲で撃たれたら…逃げようが無い。撃たれるか、谷底へ落ちるか2つに1つの選択だ!!
いや、撃たれて落ちるという、もう1つの選択も有りか〜!
この他にも尾根上には、わざと蛇行させなから進ませる構造の削り方をしたような箇所もあり、山中にはキャーキャー♪言ってる落語家の声がこだましておったそうな♪
天ヶ岳は、本格的なトレッキング装備でないと危険な箇所も有り、一般の方にはオススメ出来る場所ではない。
実際僕も普段の格好で参加したので、前進を断念した場所もあった。
しかし、十分な装備と案内が有ったら。一見の価値のある素晴らしい城郭遺構だ。
帰りには土手和田砦にも少し寄ってもらったが、ここもL字型の堀に畝が施されている、ホント残りが良い〜♪
日を改めて、またユックリ行こう〜っと。
さぁ、一泊したら落語会かぁ〜。
…本来は、その為に伊豆の国市に来たんだろ!!バカ
〓春風亭昇太〓
03
03月
春風亭昇太・天ヶ岳へ
さて伊豆の国市、韮山城調査同行レポート第二弾「天ヶ岳」である。
前記した韮山城の堀切の先に天ヶ岳が在る。
韮山の町にヒトデ(海の生き物だよ)のような形で尾根を伸ばしている、標高128メートルの山が天ヶ岳である。
この山頂部に天ヶ岳砦があり。そこから伸びるヒトデの足の先を、堀切で分断して、独立性を持った城郭として存在しているのが韮山城という訳だが、このヒトデの足の先にには韮山城以外にも「江川砦」「土手和田砦」「和田砦」がそれぞれ配置され、拠点である韮山城から見えない死角となる方面をサポートしている。
(写メ1・江川砦と天ヶ岳を分断している堀切。現在でも凄い堀切だが、当時はもっと深く、鋭かったハズだ!)
さて、いよいよ今回の調査で一番楽しみにしていた天ヶ岳だ!
こちらは、韮山城のようには整備されていないので、斜面をロープを頼りに進む。案内無しではちょっと不安になりそうな城跡だ。昔はこんな城跡ばかりで、よく行ったなぁ。
しかし…遺構は素晴らしい♪山が岩盤で出来ているために、普通の土の城と違い、土砂が流れにくいので残りが良い!
我々は天ヶ岳から伸びる細い尾根上を山頂に向かって進む。それは敵側の侵入ルートでもある。その先には尾根を断ち切る堀が待っていて、それが北条氏特有の畝堀になっているぞ!
(写メ2・堀切を上から見たところ。中央の木が邪魔だが、木の両サイドに、僅かに緑色に苔むした2本の畝が見えます)
どうだ!コレ!
…これは発掘や整備の結果ではない。400年前の人達の土木工事が、そのまま見られるのは驚くべき事だ!
そして、この先の尾根には、更に敵を阻む仕掛けが待っていた♪
…つづく
前記した韮山城の堀切の先に天ヶ岳が在る。
韮山の町にヒトデ(海の生き物だよ)のような形で尾根を伸ばしている、標高128メートルの山が天ヶ岳である。
この山頂部に天ヶ岳砦があり。そこから伸びるヒトデの足の先を、堀切で分断して、独立性を持った城郭として存在しているのが韮山城という訳だが、このヒトデの足の先にには韮山城以外にも「江川砦」「土手和田砦」「和田砦」がそれぞれ配置され、拠点である韮山城から見えない死角となる方面をサポートしている。
(写メ1・江川砦と天ヶ岳を分断している堀切。現在でも凄い堀切だが、当時はもっと深く、鋭かったハズだ!)
さて、いよいよ今回の調査で一番楽しみにしていた天ヶ岳だ!
こちらは、韮山城のようには整備されていないので、斜面をロープを頼りに進む。案内無しではちょっと不安になりそうな城跡だ。昔はこんな城跡ばかりで、よく行ったなぁ。
しかし…遺構は素晴らしい♪山が岩盤で出来ているために、普通の土の城と違い、土砂が流れにくいので残りが良い!
我々は天ヶ岳から伸びる細い尾根上を山頂に向かって進む。それは敵側の侵入ルートでもある。その先には尾根を断ち切る堀が待っていて、それが北条氏特有の畝堀になっているぞ!
(写メ2・堀切を上から見たところ。中央の木が邪魔だが、木の両サイドに、僅かに緑色に苔むした2本の畝が見えます)
どうだ!コレ!
…これは発掘や整備の結果ではない。400年前の人達の土木工事が、そのまま見られるのは驚くべき事だ!
そして、この先の尾根には、更に敵を阻む仕掛けが待っていた♪
…つづく