
4号上田城へ
4号武田神社に
先日、甲府での独演会の前に「武田神社」に行った。
武田神社は、元をただせば「躑躅ケ崎館」という武田氏の館だった所だ。しかも、良く残っていて、戦国大名の館の姿を今に伝える貴重な史跡だ。
独演会の主催者「ざぶとん亭」馬場さんの運転で、武田神社に向かうと、なだらかな坂道を車は登って行き、館が少し高い場所に有った事が解る。
堀を渡って武田神社に入る。神社入口の石垣は後から積んだモノ。立派な本殿や、能舞台等がある素敵な神社だが、裏に回ると城郭の香りがプンプンしてくるぞ〜♪
西曲輪と北曲輪をつなぐ「土橋」に「枡方」(写メ)がカッコイイ♪
以前、来た時と違うのは、南側の「虎口」(お城の入口)が整備されていた事。石垣は、武田氏滅亡の後、甲斐の国が徳川氏のものとなってから積んだモノ。(写メ)
少しづつ整備が進んでいるようで、全体が整備されたら…と思うとオシッコ漏れそうです〜。
観光地「武田神社」に行った時は、是非その周りの城跡もみてね。
甲斐の国のお城巡りは、続きがあるよ♪
4号壬生城に行く
先日、栃木県壬生にある壬生中央公民館での落語会がありました。
市街地の「平城」の場合、堀さえ埋めてしまえば、広大な更地が生まれるため、役所や学校などの公的な施設が建てられている城址が多いのですが、ここもその一つ。中央公民館は「壬生城」の跡に建てられています。
公民館の楽屋口にタクシーが入る時、右手に土塁発見。オシッ♪カメラを持って出陣じゃ♪
現在の壬生城は公園になり、本丸南側の土塁と堀の一部を残すのみとなっていますが、土塁には「折れ」があって、なかなかカッコいい♪
でも堀には、取って付けたような石垣がペタッって感じで張り付いてます(写メ1)…解説板にあった整備前の堀の、カッコイイ写真と比べると(写メ2)トホホな気持ちになる。
史跡の公園整備は「程よく」…が難しいね。
まぁ、それでも市街地で完全に消滅した平城が多い事を考えれば、少しでも遺構が残っているのは、有り難いことだ。
約15分程の妄想旅行を楽しんだ後「壬生城」本丸に建つホールで「ちりとてちん」をやりましたとさ♪
もちろん「手洗い」してからね。
「畑谷城」に4号は行く
この仕事の依頼の時に「お城を案内しますからぁ~」と、ぼくにとって非常に有難いお言葉が…。
主催が「やまのべ落語愛好会」ということで、山形では一番行ってみたかった山辺町の「畑谷城」へ出陣じゃ♪
この「畑谷城」は城好きや研究者には、非常に評価の高い城で、先日「歴史読本」で対談した中井均先生の「日本の名城、都道府県別ベスト10」山形県の部では山形城に継ぐ、第2位に選ばれる程だ。
なんと言っても、その縄張りが面白い。
街道を取り込んでいる「畑谷城」は街道を城内に通す形で、主郭側にコの字型に開いた方形の空堀と土塁。
その山頂にポコっと乗った感じの「主郭部」
そして西側の尾根を断ち切り、そのまま南斜面の竪堀になる「三重空堀」(これを二重空堀とする説もあります)の3つが、大雑把な感じで、ボンボンと配置されています。
築城の常道にはない、珍しい形で。関東、東海の城を見慣れている城好きからすると、技巧的な感じはしないが、土塁や空堀の一つ一つが明瞭に残って、ほぼ完存している遺構は貴重だし、圧倒的な迫力がある!
キャーキャー言いながら遺構を巡り、特に西側の三重空堀にはウットリ。
バカの顔になっている(写メ1)は、その堀底。オマケに(写メ2)は堀と堀の間の土塁上から…両サイドが堀!わかる!?
縄張りの説明が分かりにくかったら、この城図(写メ3)を参考にしてちょ。
さらにこの堀の外側には、落とし穴のような丸い穴がポコポコと横一列に並んでました~♪面白い~。
歴史的にも「天地人」で一躍有名になった「直江兼継」や「前田慶次」が、慶長出羽合戦で最上氏を攻めた時に、圧倒的な軍勢でこの城を落城させ「撫で切り」(まぁ…女、子供も皆殺し)にしています。「愛」なんて兜かぶって、歴女から「兼継サマ~」なんて言われている直江さんも、エグイ事もしてますよ~。
かくして「畑谷城」について小冊子まで作って、懇切丁寧な解説をして下さった。後藤さんと役場の三浦さん、そして「畑谷城」の整備等にご尽力されている皆さんに、感謝しつつ、会場に…
♪また、山形のお客様がノリが良くってガンガン笑ってくれるので、楽しく演れましたよ♪
山形の皆さん、やまのべ落語愛好会の皆さん。ありがとうございました~♪
深沢城に4号が行く!
昨日、小遊三副会長と御殿場へ行ってきた。
あまり落語会をやっていない会場らしいので心配したが、高座に座ってみればそんな心配はどこへやら、楽しく出来ました♪
高座を終えて、まだ15時。十分に明るいのでタクシーを呼んでもらい、御殿場と言えば当然「深沢城」
この辺りは今川、武田、北条の勢力がぶつかり合うデインジャラスな地域。その紛争地帯の最前線が「深沢城」です。
お城は私有地となり、一帯が畑や田んぼになっていて、ちょうど田植えの準備中。作業中の地権者の方に「見せていだだいて、よろしいですか~」と声を掛けつつ進む…日本中のお城のほとんどが私有地なんで、エチケットが入場料みたいなモノなんです。
見所は「三日月堀」(写メ1)に、郭と郭との間に連続してキレイに残る「馬出」(写メ2)です。(両方とも判りづらくてスミマセン)
コンパクトで、見ていて楽しいお城でしたよ。
オマケは無理やり連れてこられた弟弟子の柳好さんです。辛そうだぁ~
それから訂正です、小幡城の中で、虎口土塁とあるのは、虎口、土塁と書くつもりで「、」が抜けてました。
田んぼではカエルがゲコゲコ鳴いてます…暖かくなってきましたね~♪
小幡城に4号は行く!


4号こと春風亭昇太は、どこの県に行っても、この県に来たんだから、ココだけは行っておかなきゃっ!!て城郭が有るのですが。
水戸に来ていたので。つー事は茨城県。茨城県といったら東茨城郡茨城町にある「小幡城」だ~!
「小幡城」はお城好きの、どなたのHPをのぞいても最大級の評価がされている、茨城の名城なのだ!
ボクも以前から一度は訪れたいと思っていた。
水戸に一泊して、昼に車で「小幡城」に向けて出陣じゃ。
入口から進むと、そこは堀底道。広~い、深~い。おぉ~、小幡城~。(写メ1)キャーキャー言いながら歩くが、それは現代人だから。もしも攻め手の軍勢なら、ここは空堀の中、左右の高~い土塁上からの攻撃に晒され、しかもこの堀はカクカクと折れているので、いつしか前後からの攻撃にも晒されます。ヒェ~!
空堀は迷路のようで、今どこを歩いているのか判らなくなるし、ひたすら攻撃に晒され放題。その堀底が結局、目的の郭につながってなかったりするから、タチが悪いぞ。ヒェ~!
土塁上に上がると、下の堀底は格好の標的になってる事がよ~くわかります。(解りにくいケド写メ2)
その他にも、土橋、虎口土塁の高さ、それを作った土木量!噂に違わぬ名城の迫力に開いた口が塞がらないのは、僕だけじゃなくナゼかこの人も…(写メ3)
巨大空堀迷宮「小幡城」にもう一度行きたいと思う僕の気持ち。ガッテンして頂けましたでしょうか♪
4号小机城へ


休日、昼まで寝てしまった4号こと春風亭昇太は、このままでは一日つぶれてしまう!!と、急遽「小机城」に行って来ました。
新横浜から二駅、横浜線「小机駅」から徒歩十数分。アクセスの良さと、遺構の良好さを考えたら「小机城」は都心では指折りの城郭です。
落語「道灌」でも登場する太田道灌が攻めて落城した城でもありますが。現在残る遺構は、北条氏時代のもの。豊臣秀吉の小田原攻めの時も籠城を想定して、緊張した状態に有ったと思います。(実際は、先に小田原城が落城して大軍勢の攻撃に晒される事はありませんでした)
「小机駅」を降りて日産スタジアムの反対側の小山が「小机城」そういえば、このスタジアムで、我が清水エスパルスの優勝やW杯エクアドルvsクロアチア戦みたいな渋い試合も観たなぁ~。
トコトコ歩いて「小机城」登り口を上がると左右に「腰曲輪」が広がり、いきなり「一の郭」南側の「空堀」にあたります。深~い。
そして一の郭の「虎口」(写メ1)に出ます。この門の右側(僕の帽子の上)には櫓があって、防御を強化してあります。
土塁に囲まれた一の郭の先には「馬出」そして「二の郭」ここにも櫓台があります。(写メ2)
「小机城」の見所は深い「空堀」とにかく深い!ここに入ったら、左右からの矢玉の餌食です!(写メ3)
この「小机城」通った事がある人は多いはず。実は第三京浜道路が、一の郭の隣。城の中央を貫いているんです。道路になった場所にも遺構があったのでしょうが、今は知るよしもありません。
道路の下を通って、反対側の富士浅間を観終えた頃に本格的に雨。
ここらで退き陣じゃ~。あぁ面白かった♪
4号歴史読本に
4号高知城に
4号こと春風亭昇太は、楽太郎師匠の円楽襲名落語会で、坂本龍馬で盛り上がる、高知へやって参りました。
そして、ホールから徒歩5分にある高知城に、開演前に出陣じゃ!
高知城への訪城は三回目くらい。普段は、建物が無い中世城郭ばかり見に行っていますが、ここ高知城は日本に12箇所しかない「現存天守閣」の一つ!
(早い話が、昔から建っていた天守閣。…それ以外は、後から建て直したか、全く建って無かったのに建てちゃった「なんちゃって天守閣」まぁこの「なんちゃって天守閣」のパターンが結構多いんだよねぇ~)
天守閣、門、石垣。やはり本物は見事です!
城攻めの後、ホールに戻り、いいお客様の前で一席と口上~。
高知のお客様、そして高知城。ありがとうございました~。
4号大田原城へ
4号こと春風亭昇太は、先日栃木県の大田原市での落語会に行ったのじゃ。
そう。少し早めに行って城攻めじゃ!
今回行きたかったのは大田原氏の居城「水口館」僕は方形の館も好きで、水口館には、土塁の一部が残っていると聞き♪ゴー!
だったのだが…行ったら解るかと思ったのに、場所がわからず。
地元のおじいさんに聞いたら、何度聞いても「大田原城」の場所を教えられてしまう。「水口館」にと言うと「あんた、誰にそんな事聞いてきたんだ。ここに、そんなモノ無い!!」と怒られるしまつ…
やむなく断念。多分もう行く事も無い「水口館」よ。元気でな…
で「大田原城」へ!
本丸土塁の高くて見事な事!(写メ1)土塁上に登って下を見たら、怖い怖い。断崖絶壁!高所恐怖症の僕は動けましぇん!(写メ2)
それにしても…「水口館」行きたかったよ~…
4号、阿波一宮城へ
4号こと春風亭昇太は、徳島へお仕事にやってきました。
あまり来る事の無い四国なので、当然、城巡り。
前日からの天気予報では雨。山城はあきらめてホテルの近くの「徳島城」でも行くかぁ~と、思っていたんだけど、朝少し降っただけで、日も差して来た。よ~し、前から行きたかった「阿波 一宮城」へ出陣じゃ!
徳島駅からタクシーで2O分程「四国霊場十三番札所、大日寺」の前の「一宮神社」から登る。
小笠原氏、一宮氏、長曽我部氏と城主が代わり最後は蜂須賀さん。代々の城主が手を加えながら使ってきたのだろう。
途中まで、左にガケ、右手に曲輪。右側から攻城側はやられ放題。いつもの山城の風景が続く中。突然、総石垣の本丸が飛び込んできます。
どうです、本丸虎口(入口)見事です!(写メ1)土塁萌えの僕も、山頂の石垣に大感激です~。
各曲輪は、それぞれが独立性が高くて、本丸を中心とした、砦の集合体のように感じられました。
「徳島城」が出来て、「一宮城」の役割は終え。一国一城制で廃城になります。
晴れて良かった~。「一宮城」良かった~。
4号早川城へ
4号こと春風亭昇太は、日先、綾瀬市での落語会の楽屋の廊下で、周辺地図を見ていたらホールの近くに「城山公園」という地名を発見。早速調べると「早川城跡」だったので、高座の後、イザ、城攻め!
早川城は、平安時代からこの辺りに荘園を持っていた「渋谷氏」が築いたようだが、この当たりは資料がないので、正確な事はよくワカラナイ~♪って事なんだけど、縄文時代の土器がでたりしているので、古くからイイ場所だったのだろう。
その渋谷さんから「早川」を名乗る一族が出てきて「早川城」中心に、ここを治め。その早川さんの末裔に「東郷」さんがいるのですが、そこから、日露戦争でバルチック艦隊を破る「東郷平八郎」さんが出るのだ。そんな事で、早川城内には「東郷氏祖先発祥の地碑」が立っているのですが、それはまた別のお話し…
車でササーッと行くと城山公園の入り口。背後の売り出し中の住宅地が「三の郭」公園のコンクリートの敷石が広がっていている場所が「二の郭」らしい。
最初から期待してなかったし。まぁ、こんなものかなぁ~と思ったのだが、先に進んで、橋を渡ると両サイドは見事な堀切だった。敷石が敷かれていたので、解らなかったのだが、そこは土橋だったのだ♪(写メ1)
土橋を渡った「主郭」には高い土塁が有り、土橋、堀切、土塁の見事な三点セットが、揃ってました。
写メ2は、堀切ね。
他の遺構から比べると、この部分だけ、しっかりしているので、公園化する時に整備したのかなぁ~。
いずれにしても期待していなかった分だけ、得した気分になりましたとさ。
お城が無い地域なんて無いので、こんな出会が中世城郭にはあります♪
城山公園、城山中学校、城山神社。み~んな城跡だぁ♪
4号米沢へ
4号は三河「山中城」へ
4号こと春風亭昇太は、先日まで「大名古屋らくご祭」で、名古屋三昧だった。
「SWA」「独演会」「6人の会」と最後はもうクタクタでした。こんなに出るの、もーやめよ。
終わった翌日の夜、瀧川鯉昇兄さんと一緒に「安生落語会」へ…そして、落語会が18時30分開演って事は!!昼とーぜん「お城へ」
また、この辺りはお城がうじゃうじゃ有るのだ。
選んだのが「山中城」山中城というと、静岡県三島市の山中城が有名だが(有名って言われても、困るかも知れないケド)今回は三河国「山中城」
この城は三河の国人「西郷氏」によって築かれ「松平」属し、その「松平氏」が今川氏に属すと今川氏の物になり。「桶狭間の合戦」で今川氏の力が弱まると、また「徳川氏(松平氏)」に攻め落とされ。一向一揆勢に占拠され、また取り返し…と、国境のお城は忙しい!!
「舞木口」から侵入すると、左側は急斜面で逃げ場が無い中、右側からの攻撃にさらされます~。
そして、その先は土橋が待っています。(写メ1)たまりません~。さらに進めば右から正面から攻撃されます~。ハァ…
二の郭の周りの土塁もよく残り。その先の「腰曲輪」も見ごたえ十分!いいお城でした♪
4号佐久城へ
4号こと春風亭昇太は、先日ブログに書いた、浜松のお寺の落語会の前に「佐久城」に行ってきました。
「佐久城」は浜名湖に面した岬の先端にあります。まぁ浜名湖という巨大な水堀に守れながら、海運の要所を抑えている訳ですね。
リゾート開発でほぼ壊されていますが、主郭部は明確に残っていますよ。
見所は「馬出」から「主郭(本丸)」をつなぐ「土橋」です!(写メ1)きれいに残り、両側は深く掘られた空堀です。どんなに大軍で来ても、周りは浜名湖。ここでは一列にならないと進めないので矢玉の餌食でございます~
徳川家康に攻められて籠城二ヶ月。ついに開城したのでした。
この後、落語会で「地元の佐久城に行ってきました~」と報告したら、お客さんから「そんな城は無い」と言われました。
日本人の多くは天守閣を城だと思ってるのね~。でもね~浜松城の天守閣は…まぁ、いいか。
4号甲州城めぐり
4号こと春風亭昇太は「白山城」「新府城」の後、独演会をやり、次の日は独演会を主催してくれた「石和ざぶとん亭」の馬場さんのリクエストで「獅子吠城」(ししく城)に行った。
随分渋い城に行きたいモノだと思ったら。獅子吠城というネーミングに引かれたらしい♪
そのわりに獅子吠が読めなくて「獅子…何とか城」と連発♪
「獅子吠城」は元々自然石がゴロゴロしている場所だったのだろう。石がゴロゴロの部分と、その石を積み上げて石垣にしている部分が一緒になって、風景としても、他の城とは異彩を放っていて面白い。(写メ1石垣部分)竪堀も見事ですよ。
次に、凄く近いということで「若神子城」…ここは公園になっていてイマイチ…
最後に「谷戸城」ここはきれいに整備してあって、とても見易い!!こんなに良く土塁が残っているものだと思ったら、復元整備でした。
でも中世の城をイメージするにはイイ感じ。
土塁の内側に空堀が有る(普通、外側に堀があります)のが「吉野ヶ里遺跡」と同じです。守りにくいだろうと思うんだけど…なぜでしょう?(写メ2)
山梨も、いいお城揃い!本当は「深草館」に行きたかったんだけど、また行こう~。
4号白山城と新府城へ
4号こと春風亭昇太は、甲府の独演会の前に韮崎市の「白山城」と「新府城」に行って来ました。
「白山城」は遺構が良く残っている、見事な城でした。桝形虎口や土橋が素晴らしかったですよ~。写真だと分かりにくいケド土橋です(写メ1)
感動しながら「新府城」へ。甲斐武田家、最後の根拠地「新府城」は堀に突き出た「出構え」(写メ2)という、鉄砲等で、堀に近付く敵を攻撃出来る、独特な遺構で有名ですが、その「出構え」が有る堀が発掘調査中でした。(写メ3)
「東出構え」の上からボンヤリ発掘を観ていると韮崎市教育委員会の方とお会いして「良かったらどうぞ」と発掘中の堀を見せて下さった♪
今まで、堀の事がよく解ってなかった為の調査だそうだが。説明を聞かせて頂いて、戦闘を想定してみたら凄く面白かった!
城には、そんなに幅はないのですが「箱堀」(写メ4)が掘って有って、水がはってあり。その前には湿地が広がっていた事が解ったそうです…
…つまり。敵側は城に近づくと、湿地帯に足を踏み入れます。動き辛い程度で「行けるな♪」と、バシャバシャ進む。そこで「出構え」からの銃撃に「早く城に取り付こう」と思って、急いで城に近づくと。突然足を取られて「箱堀」に水没!…という訳だ。平らな水面下に巧妙な「落とし穴」が新府城の堀に口を開けて待ち構えている!と言うわけだ。
甲冑なんか身に付けていたら、絶対浮かんで来られません…恐ろし~。
「ちょうど、お茶の時間なんで、どうぞ」とお茶までご馳走になりました。
発掘作業のおじちゃんや、お姉さま方には「昨日、笑点視たよ!」とか「こういうお城が好きだ。ってテレビで言ってたから、いつか新府城に来てくれると思ってた~」なんて嬉しい言葉も頂きました。
「新府城」発掘作業の皆さん、有り難うございました。
「甲府独演会」もノリノリのお客様のパワーを貰って、ガンガン演れました。また行きます、ありがとう~♪
次の日も甲州城めぐり。報告は、また。
4号杉山城へ
4号こと春風亭昇太は、埼玉県小川町の落語会に行ってきました。このあたりは、お城がワンサカ有る地域で、もちろん行って来ました。お隣、嵐山町の「杉山城」
!もう最高!いやいや、噂に違わぬ素晴らしい、遺構と保存状態!!
今まで、観てきたお城の中でも最高ランク。感動モノの城郭でした。
大手口から、馬出し。目に入ってくる物全てに、キャーキャー言いながらの夢の散策!
妖精みたいなボクが(どこがだバカ)邪魔してますが「南三の郭」から「馬出し」方向です(写メ1)細い通路の回りの土塁や空堀の様子が判るでしょ♪
その外側の「帯曲輪」(細い帯状のスペース)に敵兵が立てば、手前は堀、反対側は急な斜面。逃げ場が有りません(写メ2)
とにかく、見せ場を上げたら切りがない程の中世城郭テクニックのオンパレード。戦国期最高傑作の呼び声も納得です。
しかも、この城は私有地で地権者の方のご厚意で、保護、公開がされています。感謝、感謝!
素晴らしさを、もっと書きたいけど書ききれません!ビバ杉山城。また行きたいです。
4号浪岡城へ
先日、4号こと春風亭昇太は「笑点」青森収録の為に青森市にやって来ました。
「笑点」の地方収録は、いつも前日入りなので、朝一番の飛行機で青森空港に降りて、空港近くの「浪岡城」へ行ってきました。
「浪岡城」は浪岡北畠氏の本拠地で、現在は国指定史跡。整備もされて、本丸に相当する「内館(うちだて)」を取り巻く「北館」「西館」「東館」「猿楽館」等々の郭を散策してきました。
浪岡城の堀には、堀の中央に「中土塁」と呼ばれる土塁が有って、これが、堀の障害物となり、或いは通路にもなっているのです。しかし、これを敵側が通路に使うと両サイドの郭から、攻撃にさらされるので~す。
城の入口にあたる「虎口」は「桝形」になっていてますよ(写メ1)わかりにくいケドね。
時間が有ったので20年ぶり位に「弘前城」にも寄りました。ここの城は、土塁の間に古風な門が現存して、本当にカッコイイ♪ 日本に数少ない「現存天守閣」も厳かに建っております。(写メ2)
好きな城を二ヶ所も見たので「笑点」の収録も、爽やかに終えましたとさ♪